Written by 宍戸竜二オフィシャルサイト

幸せな人は必ず持っている、不幸な人が知らない秘密の考え

blog 幸せについて 苦しみについて

幸せの正体とは「興奮」?


あなたは幸せについてどのような解釈を持っていますか?

楽しいこと、
嬉しいこと、
愛されること、
認めらること。

今あなたが苦しみの中にいて、幸せになりたいとそう願いながら、このようなものを求めているのなら、残念ながら、人生はなかなか好転しない。
と言わざるをえないでしょう。

それは全て「幸せ」ではなくて、「興奮」と呼ばれるものと勘違いしているからです。

とひんしゅくを買いそうな書き出しですが、たくさんの方の相談に乗らせていただいてきた中で、僕はこの勘違いこそが喜びのズレ。だと感じています。

ポジティブとは?

ポジティブの真意とは、前向きな気持ちでもなければ、ワクワクする気持ちでもないし、ましてや楽しい状態。でもありません。

ではポジティブって何?

ポジティブなマインドとは

わたしが様々な体験を通して変化させてき思いの先にあった、ポジティブの解釈は、

  • 目の前の出来事が苦しくても嬉しくても、私には必要なことしか起こっていないよね。

と目に見えるものを、感じられるものを「良い」や「悪い」などで判断せず、「必要なもの」として腑に落とせる。
を表す言葉です。

逆にネガティブとは、目の前の出来事に「良い」や「悪い」だけで判断し、興奮する材料だけを受け取りたい、と判断している状態のこと。

あなたの思っているポジティブとどのように違うでしょうか?

全ての感情は、幸せになるためのもう一人の自分からのメッセージ

どうしたって楽しい感情は興奮するし辛い感情は落ち込むから、楽しいことだけを得ようとし辛いことは排除したくなる。
その気持ちもわかります。

しかしあなたが、あなたの親や大事な人から、楽しそうにしている時だけ関心を向けられたらどうでしょうか?

いつでも笑っていようよ。とか
泣いてちゃダメだよ。とか
怒ってると幸せがどっかいっちゃうよ。

なんて月曜9時のドラマのような陳腐なことを言われたら、うるせー。ってなりませんか?笑
わたしはなりますね。
なんならそいつのボディーにいいのを喰らわしたいくらい、ムキーってなります。

はっきり言って、相手に持たなきゃいけない感情を強制するなんて、暴力といってもいいでしょう。
しかし、相手のためという大義名分を振りかざし、結構やってしまうことあるんじゃないでしょうか。

あなたがいつでも笑ってなきゃいけないとか、
泣いてちゃいけないなんて、
そんなこと指図されたらめちゃくちゃに傷つきませんか?

しかし、多くの人がそのような言葉で、自分自身の感情を裁いています。
あなたも、自分の苦しい気持ちに対してそのような対応をしてしまってはいませんか?

ではどうされたら嬉しい?

あなたが悲しそうにしているときに、お父さんやお母さんや大事な人から、
「どうしたの? 泣いても良いんだよ」
と言ってもらえたら、嬉しくはないですか?

「昨日こんなことがあって、こうなって、それで悲しいの」
「そうかそんなことがあったんだね」

そんな風に気持ちに寄り添ってもらえると、傷ついた気持ちは心から癒えていきますよね。

感情って何?

感情とは、心の中にいる自分の子供。である。

人が持つ全ての感情は、どれも何一つ欠けてはならない大切なもの

例えば料理で言えば、

甘いもの
辛いもの
しょっぱいもの
酸っぱいもの
苦いもの

全ての味覚要素があるから、素晴らしい料理ができます。

人の感情にはそれぞれすべて人格がある。と思うと想像しやすいのかな。

悲しいくん
楽しいくん
辛いくん
嬉しいくん
苦しいくん

どれも皆あなたの大事な子供であって、大事な家族。
それぞれがあなたに幸せになって欲しくて、様々な感情を感じさせてくれています。
そしてあなたもその感情たち子ちゃんに対して、親のように安心と普遍の愛情を見せてあげてください。

幸せな状態とは?


自分にも他人に、どんなことが起ころうと良いも悪も判断せず、どんな感情が起ころうと、ただその気持ちがある。と思えていて、目の前に辛いことがあっても、楽しいことがあっても、私には必要なことだけが起きている。とその物事に対して意識を向けられる。
と言う状態です。

でもそんなこと言われたって、できそうにない…。
と思うのも当然だと思います。
そんなややこしいこと考えてられないですよね。
しかしそこを目指すということは、とってとても大きな価値をあなたにもたらし、より多くの人が人生を豊かにすることができる。と私は信じています。
そのために私も協力させていただきます。

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余計な判断をしないためには

人は日々、常に頭の中で数万に及ぶ思考をしています。
思考とは、どのように使うものなのでしょうか。

役に立たない思考とは?

他人へ向けたものや、未来や過去などへの不安や後悔に向けた思考。

あの人はなんであんな行動をするの?とか、
あの時にこうすればよかった?とか
この先も今と同じ現実が待っている?
など。

日常このような思考をしていませんか?
これは百害あって一利ない、まるで役に立たない思考です。

過去は変えられないし、未来は決まっていない、他人の行動は一切自分が決められることではない。

つまり無駄です。

ときっぱりと言い切れるくらいに。笑

思考の無駄遣い、
思考へのハラスメント
思考への裏切り。

と言いたい放題言われても仕方がない、無駄なこと。
ということでしょうか。
(言い方、気をつけます!)

2種類の思考とは?

人は大きく分けて、2種類の思考を使って人生を動かしている

  • ・一つは、自分で何を考えているのかが意識できる思考。
    顕在意識などと呼ばれます。
  • ・一つは、自分で何を考えているのかが意識できない思考。
    潜在意識とか、無意識などと呼ばれます。

この二つの意識が、人の意識の主な二つです。

人生をメインに動かしていくのは、後者の意識できない思考です。
ここが人の持つ意識のほぼ全てを司っていて、目の前に自分が信じる現実を実現化させていきます。

そしてその意識できない思考に指示を与えるのが意識できる思考です。

意識できない思考の中には、あなたが意識できる言葉を使うときに生まれる信じ込みがアーカイブされ続けます。

例えば
「幸せになりたい」
と顕在意識で思う時、
「今幸せではない」
という思考が潜在意識で行われる。

結果潜在意識に刷り込まれた、「今幸せではない」という信じ込みが現実を実現していきます。

本当の幸せとは?

本当の幸せとは、一言で言えば「退屈」の状態であるとき。
とわたしは考えます。

人は退屈なときにこそ、ネガティブな思いを感じやすいですよね?
・なんかつまらない…
など。

しかし、よく考えてみていただきたい!
退屈な状態であるときこそが「幸せ」だと思いませんか?

人は過去にも未来にも縛られていない。
愚痴を言いたくなるような奴もいない。
さらには、誰かに脅かされていたり、追われていたりしない。
そのようなとき「退屈」を感じやすい。
心当たりないですか?
そりゃそうですよね?

命の危険があるくらい誰かに追われていて、
「ぼかあ退屈だな〜」
なんて思わないですよね?

「退屈」
それこそが幸せ。
ではないですか?!

退屈ではない状況を考えてみましょう

過去に大きな後悔があれば、退屈なんて思えないですよね?
悔しくて、シーツを何枚齧ったとしても、その思いは晴れないですよね?

未来に不安があれば、退屈なんて思えないですよね?
いつでもその不安が付きまとい、安心なんてしてられないですよね?

誰かに脅かされていたら、退屈なんて思えないですよね?
気になって何を食べてもおいしくないだろうし、どこにいても気もそぞろ!

誰かがあなたの命を狙っていたら?!、もはやただのガクブルですよね…。

退屈だと思ったら、無理やりにでも幸せを実感していこう

退屈だと感じたあなたは、紛れもなく今幸せです!

今ここにいるとき、その状態が悟りである。
仏陀になったゴーダマシッダルタも、唯、今を感じる。というヴィッパサナー瞑想を確立し悟りを開いた。
そう、退屈なあなたは、すでに仏陀の境地なのです!
(なわけはない。ですが、ものすごく大きな俯瞰から説明すると、そういうことになります)

だから、もし退屈だな〜
と言う思いが現れたら、大きく息を吸い、吐き出しながら

「これが、幸せ、か〜」

と染み染みその言葉をしっかりとした声で吐き出し、そこにただ浸ってみてください。
染み染み感じるのがコツです。

すると、必ず体のどこかに、じんわりとした感覚が現れてきます。
苦しみをむやみに避け、ワクワクや楽しいことをただ求めることは、私はとてもネガティブなことと思っています。

退屈だと感じたとき、あなたは悟りの境地です。
大げさではなくて、僕は真面目にそう思うのです。

目的や喜びのズレ。とは?


今この瞬間、生きることに苦しんでいる人は、喜びの求め方がズレていることを示している。と言えるでしょう。
何が喜びか、もう一度再設定しませんか?

生きる目的の設定方法

わたしはこうやって生きていきたい。
とする人生の目的とは、まず何をしたいのかが重要であって、それに伴って現れる感情は考慮しない。が大前提です。

まず先に、ワクワクするからそれがしたい。ではなくて、
まず先に、気持ちがいいからそれがしたい。ではなくて、

その目的は、あなたやこの世の中に対してどのような思いを持ってのことなのか、その思いを実現させるためにはどうすればいいのか。
そしてそれをするためのことが辛いことでも、苦しいことでも、恥ずかしいことでも、その目的があなたや世の中に対しての思いに沿っているならば、そこに進むことが一番あなたの人生を豊かにしてくれるはずです。

そこをあなたの目的地に設定したあと、そこに向かう方法の中で一番ワクワクするものを選べばいいし、一番気持ちのいいものを選べばいい。

私はそう思っています。

好きな人を選ぶときも同じですよね。

この人といれば幸せだけど、その先は荊の暮らしである。
この人には気持ちは動かないけど、安心の暮らしがある。

どちらの相手を選びますか?
生きる目的とは、そのように誰を選んで生きていくのか。という選択と似ている部分があるように思えます。

欲しい感情で目的を決めていくと?

上で挙げたように、欲しい感情を真っ先に求めるように生きる目的を決めていくとどうなるのか?

なんとなく飽きてきたり、
なんかわからないけど、物事が頓挫したり。
なぜか他人から邪魔をされたり…。
最初はうまくいったとしても、そんな風にゆくゆくは行き詰まっていく可能性が高くなるんじゃないかと思います…。

例えばあなたの目的がもし
「歌手になりたい」
だったとします。
それがうまくいくかどうかは、あなたがその歌うことに対して、どのような目的を設定しているのかにかかっています。

歌うことで自分だけが気持ちいいから。
歌うと認めてくれるから。
歌うことでお金が稼げるから。

このように、
自分が良ければそれでいいと思ったり、
他人を使わないと満たされなかったり、
手段であるだけの存在の、お金を稼ぐことだけが目的だったり。
このような思いだけで人生を進めようとしても、なぜか他人からの協力がもらえなかったりなど、潜在意識の力をうまく発揮できなくなります。
なので、そのような思いを持ちながら自分の目的をうまくいかせるためには、大量の頑張りを必要とすることになるでしょう。

ではどんな目的だったら?

この世界では、人と人は無意識同士で強く繋がっています。
特に属性が同じ人同士は、距離に関係なく顕著につながります。

こんな遠くの場所で、あんな知り合いにばったり。
なんてことないですか?
それは何かしらの心のつながりがある関係とも言えるのです。

そのような同じ属性の人と人をつなげるためには、自分だけのためではないこの世の中全体が豊かになるような目的を持つことができるとうまくいきます。

歌うことで子供達に夢を与えたい。
歌うことで夢を諦めている人に勇気を与えたい。
歌の素晴らしさを沢山の人に伝えたい。

最初の目的と何が違うのかわかりますか?

何かに取り組むときに、その人がどのような思いを持って取り組んだとしても、そこに良いや悪いはありません。

どんなことも、その人がそれで良い。
そう思えて取り組めることは、尊いことです。

だから広義な意味ではもちろんワクワクしたいから。気持ちいからだけの理由でももちろんOKです。
思うように自分の人生が進んでいくのなら。

しかし、
その取り組みを大きく発展させたいのに、広がっていかない。そのような思いが湧いてきたら、この章で書いてきたような、自分の中の目的の設定を確認することは、あなたの目的を発展させるために必要になってくるはずです。

目的のズレを確認する方法

人生の目的を持ったとき、自分の中にどんな信じ込みや「前提」ができているのかを確認するといいでしょう。

例えば、

「あなたが幸せになりたい」
と願うとき、一つには
「今が幸せでないから」
という信じ込みが作られていきます。

ニュアンスわかりますか?

今幸せを謳歌してる人は、今幸せだから幸せになりたい。という発想がそもそもありません。
前提が「今が幸せ」だから。

もっと幸せになりたい。
ならあるかもしれませんが。

なあたが男性なら、男になりたいと思わないですよね?
あなたが女性なら、女になりたいとは思わないですよね?

何かを求めるとき、そのときの信じ込みが、あなたにとって豊かな象徴ではなかったら、それを手に入れてもあなたの人生はきっと変わらないでしょう。

人が自分の人生を創っていくために一番影響を与えるのは、自分が使う言葉の裏に作られる「前提」にある思いです。

自分が持っている信じ込みや、前提に沿ってあなたの目の前の世界は作られていきます。

なので、どのような目的を持ってもいいのですが、そのときにどんな前提が心の奥にしまい込まれるのか、そこを自分の理想とできるような目的を持つといいでしょう。

前提の作り方

先ほどの例の、歌手になりたい。

で言うと、

「認められたい」
という思いを持てば持つほど、
「私は認められていないから」
という前提が心の奥に育っていき、
目の前には、こんなに頑張っているのに、なぜか誰も認めてくれない。
という勘違いが起きます。

気をつけて!勘違いです!

実際にはたくさんの人があなたを認めてくれています。
しかし、「誰も認めてもらえていない」という前提を持ち続ける限り、認めてくれている人からの言葉に気がつかなかったり、無意識に排除までしてしまい、なかったことにまでしてしまいます。
心当たりないですか?

認めてもらえていないという前提を持つあなたはさらに、
「あなたはすごいよね!」
と誰かが言ってくれたとしても、壊れた翻訳機を持つあなたはそれを、「嫌味」と翻訳してしまう。
褒めてくれているのに、嫌味と受け取り、「私は認めてもらえない」と地団駄を踏んだりする。
そうなるともう、

ただのめんどくさいやつ

ですよね。笑
(ああ胸が痛い…)

つまり目の前の現実を作る。
という概念は、目の前の情報を自分の前提に沿って、取捨選択をする。
ということですね。

認められたいあなたは、すでに認められていますから。
どんなに小さなことも見逃さないように、あなたが認められている物事を改めて再認識してみてはいかがでしょうか。

人は幸せになるためにこの世に生まれたわけではない。


とても物騒な見出しですね。
自分で書いていて、恐怖と戦慄を覚えます。
ひでえな。

ですが、これは紛れもなく真実です。
真実ベースでお話しします。
(もちろん今までも真実ベースですが…汗)

僕は自分の人生を苦しみにまみれながら生きてきて、今ようやく立ち上がった僕の「この世に生まれてきた目的」とは何か。
その答えが、見出しの言葉です。

人がこの世に生まれてきた理由は、必ずしも幸せになることではありません。

僕が得た経験で言うと、
生まれる前にあの世で抱えていた、苦しみの葛藤を解消するため。
です。

これはかなり真実なんじゃないかと思っています。
幸せになることも、もちろん大事ですから、禁止。なんてことではなくて、幸せになることは気持ちのいいことですし、幸せになりたいですよね。
でもそれを追うことよりも、あの世で持ちあぐねていた、手放したい葛藤をこの世で消化し、成仏させることのほうが5兆倍くらい大事だと僕は思っています。

あなたの人生の目的が書かれた青写真

あなたがこの世に生まれる時に一緒に持っていた大事な青写真。
あなただけの人生の計画書、とでも言いましょうか。

その計画通りに今世を生きれば、どうしても解消できなかったあの世での葛藤を成仏させることができる。
なんとしてもその葛藤を解消したい!
その強い思いで、思い切ってこの世に生まれ落ちてきた。
あの世では、
「えーお前あの地上界に降りるのか?」
「お前チャレンジャーだな〜」
と会話がされるほど、この世は困難の固まり。
苦しくて当たり前なんです。

しかし、
あの世で解決できないなんていう葛藤は、必ずこの世の中で味わう苦しみの中でしか解消はできません。
だからあなたの青写真には、葛藤が大きいほど、壮絶な苦しみ計画が記されているのです。

それに沿って、親を選び、エピソードを選び、必要な苦しみを受け取りに行きます。
そのためには大勢の他人や事件や事故や災害まで使い、計画書通りの苦しみをオーダーしていきます。

「おい、言ってたあれくれ、あの苦しみの10−2の奴」
「これか?」
「いやちょっと違う…」
「じゃあこれか?」
「違う、もうちょっと、こう…」
「こうか?」
「いや、そっちじゃなくて、」
「じゃあこうか?!」
「そうそれそれ!うぎゃーくるし〜」

ってもうそりゃコント仕掛けもいいところな掛け合いを、潜在意識を使ってきっちり他人にオーダーしています。
それは、親や兄弟や親戚、そして配偶者に子供に友達。
その近しい人物にしっかりオーダーをし、苦しみを受け取ります。

なので、被害者。
などという思い自体が、そもそもおかしいのです。

こんなことされた?
とか
あんなことされた?
ってあなたすぐ言うじゃない?

でもそれ、あなたがあの世での葛藤を解消するために、あなた自身が周りにオーダーしてるんだからね。
言ってみりゃ、苦しいが嫌だっていうのはさ、喫茶店でコーヒー頼んでんのに、「そんなの頼んでねーよ!」って、目くじら立てたり、
ツタヤでトムなクルーズ観たいって、ミッションなポッシボー借りてきたのに、「何トム出てきてんだよ!、そんな紐でぶら下がんな!」
って言っているようなものよ。

マジでコントね。
マジコントね〜。
あはは。
(し、失礼しました…)

悲劇にも、子供から大人になる過程で、多くの人がその青写真を無くします。
青写真を失ったあなたは、どこに行けばいいのかもわからなくなり、そりゃもう壮絶なコント仕掛けの人生を生きている。と言ってもいいでしょう。
周りはいい迷惑です。
お前の言う通りに苦しくしてやってんのに…。って協力してくれている人は呆れていますよ…。

たとえ青写真を無くしたとしても、あなたのこの世での人生計画は魂にしっかり刻まれていますので、無意識はその計画書に沿って人生を動かしていきます。

なので、魂くんも必死です。
「おい、頼むから、その苦しみドリルをやっつけてくれよ〜」って。
感情くんたちを総動員し、あなたが青写真を取り戻せるような課題を投げつけてきます。
それを人は「問題」と呼びます。

嫌だからって、あんまりにもその課題を無視していると、夏休みの宿題をしないどころの騒ぎではないくらい、決して避けられないような大事が起こりかねない。
その苦しみドリルは、苦しみの問いを解いていかないと、これでも気がつかねーのかこいつっ!となって、どんどん投げつけられる苦しみは大きくなっていきます。

青写真をなくした人の悲劇

苦しみの人生を否定し続ける人、それがこの世に溢れる青写真を見失い生きる目的がわからなくなった、ワクワクや楽しみだけを追いかけさまよう亡霊のような人の正体です。
そんな人でこの世は溢れています。

楽しさを追い求めるほど、前提がずれていき、より自然な楽しみはやって来なくなります。
なので、ムキになりより頑張って楽しさを追い求め、人はワクワクサイボーグのようになっていきます。

自殺者が日本の死因の1位になってしまっているのは、そのような理由からと私は推測しています。

人は楽しいことだけになってしまったら、自分の人生の目的なんて真剣に考えないのです。
自分の青写真を思い出せるのは、苦しみという感情の中にいる時だけなのです。

だから楽しいことだけで人生を終わらし、この世に生まれたことを無駄にするのか、
しっかり苦しみを味わい、その中から自分の魂の葛藤を解消して、その後の人生や来世を楽なものにしていくのか、
どちらを選んでもあなたの自由です。

覚悟を決める

できるだけ早く覚悟を決め、その苦しみに頭をどっぷりと突っ込み、これでもかとその感情を感じるのです。
その中には、必ずあなたが今世でこなしたいと思った葛藤の解消計画が記されています。
それを確認すれば、すべての苦しみに合点がいきます。
そっか、このためにわたしの人生はあったのか。
この心理的な着地が起きたら、あなたの人生は本当の人生を生き始めた。と言っても良いでしょう。

どうですか?
これからも続く万年の苦しみの月日を思えば、今苦しみの意味を知って仕舞えば良いだけ。
めちゃくちゃチャンスボールじゃないですか?
そ〜れってジャンプして、バシッとアタック打っちゃいましょう!

苦しみくんがもたらす苦しみは、もしかしたら理不尽な離婚かもしれないし、耐え難いリストラかもしれないし、親からの虐待かもしれないし、絶望的な大病かもしれない。
しかしそれがあるからこそ大きな目的に気がつき、乗り越え、自分らしい人生を送っていく。
それが自分の人生の青写真を取り戻したということなのです。

苦しみを受け取った後は?

苦しみを乗り越えた人の心のエンジンは、必ずハイパワーへと成長します。

例えば、理不尽な借金を10億円抱えてしまった人が、「やってやるぜ!」と借金返済に全力で取り組むとします。

その人がその借金を返済した後は、どうなると思いますか?
お金を難なく産む知恵が備わっているでしょうし、たくさんの仲間もできるでしょう。
借金がなくなったその後は、今度は自分のためにお金を稼ぐ。
そのパワーは、もはや普通の人ではなし得ない成果をもたらすはずです。

今あなたが苦しみの中にいて、その苦しみを乗り越えあなただけの青写真を見つけられたのなら、苦難のない状態から自分を前に進める力は、もう誰も追いつかないようなものになっているでしょう。
そこからは、もうあなたの時代です。
そこからあなたは、とても大きな人生の目的を果たしていくことでしょう。

そうすると、魂くんは、「良かった。これで今世が終わったらあの世でウハウハだぜ」
と大往生できるのではないでしょうか。
そしてもう今世に降りるというドMな選択なんてしないで済むのではないでしょうか。
僕はこんなこと言っていて、あの世とかこの世とか、特に分かっていません。
僕が腑に落ちるストーリーを書いているだけです。
しかし、この腑に落ちる感覚こそが何より自分だけの青写真に近づくということなのです。

これがわたしが考える幸せの本質です。

ちなみにわたしが苦しみの中に頭を突っ込み取り戻した青写真にはこんなことが書かれていました。

我、自己否定の葛藤を処理したく、コノヨザップ(この世ザップ)に入隊することをここに誓います。
自己否定を解消するために、わたしは薄愛な親を選んで生まれました。
母親はわたしを無視し続け、優しかった父親は悪さをしたのもあったけれど、そんな母親に追い出され行方不明。
幼少期は一人佇む日々。
母親からは金を毟り取られる日々。
長い間親を恨み続けた。
大人になり結婚をしても、どうしても避けたかった離婚を突きつけられ、子供とも離れて暮らす。

自分の人生ってなんなん…?
と膝を抱える毎日。
その中で僕は心の仕組みを学び、あらゆる知識を得て行動し、たくさんの心理的着地を体験する。
結婚に失敗したことから、親の離婚を許すことができ、
子供と離れて暮らすことで、孤独の本質を知ることができた。

その苦しみがあったからこそ、僕は自分で自分を愛し、本当の幸せとは何か?
という答えにたどり着く。
そしてまた次の心理的着地を目指して心の旅は命が尽きるまで続く。楽しみ!
そうして自己否定の葛藤は解消していきました。
これがあの世で設定した、僕の青写真に記してあったこの世での人生計画です。

そして自己否定を解消した僕は、こうしてまた誰かに心の仕組みを伝えていきます。

ビバ俺の人生!
やったね俺の人生!

この喜びを、苦しみを持て余す人に捧げたいと思うのです。

長々とお読みくださりありがとうございます。

パチパチパパチ。

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