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人間関係を蝕む境界線の重要性、自分の感情に責任を持つ

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人間関係を作るも壊すも境界線次第

人間関係を蝕む境界線の重要性、自分の感情に責任を持つ
人間関係を壊す最大の要素は、
境界線を構築していない。
これに尽きると僕は考えています。

境界線とは?

シンプルに言うと

自分が幸せでいる責任を相手に取らせすぎない
相手が幸せでいる責任を自分が取りすぎない

ん〜…ちょっと奥歯に何かが刺さったような言い方ですね。
その何かが抜けるとどうなる?

大阪のおばちゃん風に言うと(なぜ?)

あんたの幸せやろ?自分で責任取りぃや!こんちくしょうめが!

です。
ですってなんだよ。笑

つまり、自分が幸せでいられない責任を他人に強要させるということです。
それはハラスメントであり、脅迫や暴力といってもいいような振る舞いなのです。

仕事と私どっちが大事なのよ?プンスカっ!
とか、
ご飯作ったんだから、ちゃんと美味しいって言ってよ!プンスカっ!
とか、
どうしてこんな帰りが遅いの?!プンスカっ!
などなど…。

こんなことを毎度毎度、大事な相手に突き付けてはいないですか?

どれも日常、どこにでもあるような悲鳴なのかもしれませんが、
これは境界線が構築できていない人のねじれた苦しみの声なのです。

どの不満の声も、自分でなんとかできることばかりですし、自分でなんとかすることの方が気持ちも楽になりますし、相手も楽になる。結果どんな人間関係も素晴らしくうまくいきます。

なんだろう、この胸の痛み…。あはは。

境界線が築けていない関係は、お互いが多大なストレスを被り、そして確実に破綻への道を進めることになる。
そうなると、お互いの我慢を使うことでしか関係が維持できなくなる。

今感じているあなたの感情は、たとえどんなに相手が悪かろうと、あなた自身が責任を取る必要があります。
その責任は、誰も取ってくれはしませんし、取りたくても取れないものです。

これはすべて黙っていろ。
と言うことではありません。
むしろ、自分の本音は伝えていく必要があります。

相手に言わないといけないことも、自分が黙っていれば丸く収まる。
言わなくていいことを、自分の感情に任せてぶちまける。
どちらも時には必要な場合もあるのかもしれませんが、自分の感情に責任を取れていないということです。

言う勇気と、
言わない勇気
この線引きもとても重要な境界線です。

こんな不機嫌を表現していないですか?

自分の不機嫌を相手になだめさせるために、無言のジェスチャーで気がつかせようとする。

聞こえているのに返事をしない。
約束していたのに拗ねて急に行かないと言う。
何も言わないのに不機嫌を撒き散らす。

しまいにゃ、なんで俺が(私が)不機嫌なのかわからないの?!
俺の(私の)何を見てるの???!!!
とロバートデニーロばりに両手を広げ、怒りの顔面を相手に投げ出す。

これが自分の感情に全く責任を取れていなかった頃の、わたくしの姿です。汗汗汗

自分の感情は100%自分で責任を取る

自分の気持ちが相手のせいで、

イライラしてようと
悲しかろうと、
怒っていようとも、

自分の感情は自分の責任でどうにかんせんかい!
が人間の正しい姿です。

これが人生がうまくいく人の姿勢です。

あなたは怒っている。
とても怒っている。
しかも、その原因は、相手の失敗から。

相手の失敗だから、相手が責任取るものでしょ?

こう考えているんだったら、もう月へ帰りなさい。
この地球であなたの居場所はありません。
ましてや、その大事なパートナーの隣にいる資格はないのです。

なぜここまで強く言うのか?

それは私があなたに幸せでいてほしいからです。
あなたに関わる人に幸せでいてほしいからです。
そして僕が幸せでいたいからです。(どさくさ)

どうやって感情の責任を取る?

感情の責任の取り方は、それはその人ごと、人の数だけあるはずです。

悲しかったら、泣いてスッキリしたい。
怒っていたら、海辺に立って「ばかやろー」と叫ぶ。
悔しかったら、その相手に「あなたのあの発言が許せません」
と伝えたり。(あくまでも伝えるだけ)

あなたの中には、もう一人の小さなあなたがいます。
誰かにあなたの感情の責任を取らせようとしているとき、あなたはもう一人の自分を無視している状態です。

あなたが誰かのせいで、激しく怒っている。
それはもう一人の自分が怒っているということなのです。
つまり、心ですね。
あなたの心が怒っている。

あなたの大事な人が隣にいたとして、その人が怒っていたら、まずは「どうしたの?」と声をかけますよね。
あなたの大事な人が、走ってきた自転車にぶつけられて倒れたら、自転車のその犯人を追いかける前に、まずはその大事な人に「大丈夫?」と声をかけますよね?
あなたの大事な人が泣いていたら、隣で静かにその人に「大丈夫だよ」という気配を送りますよね?

自分の感情に責任を持てていない人は、これを忘れている状態です。

そしてこの「大事な人」というのは、あなたの心と置き換えられるものです。

悲しいとき
苦しいとき
怒っているとき

まずは自分とコンタクトを取り、自分の体で感情を感じる部分に手を当てて、その心のメッセージを受け取ろう。

そして臆せずその相手へも自分の気持ちを伝えましょう。
なぜなら、伝えないと相手はわからないからです。

具体的な感情の責任の取り方

先ほどの感情ブンブン丸の例を、自分で責任を取ってみるとどうなるのかを考えてみましょう。

仕事と私どっちが大事なのよ?プンスカっ!

でしたね。笑

仕事ばかりする相手を見て、かまってもらえないストレスをぶつけている。
と言うよくある状況ですね。

ほぼ一日中あなたは相手への鬱憤を頭の中で繰り広げ、そのたびに憎悪が募る。
あいつメエ〜という黒いひつじちゃん状態。
ただただ憎らしい時間だけが過ぎていき、それなのに別れる決断もできない。

この場合、どう境界線を引くのか?

相手が仕事にかまけているのを続けるのもやめるのもその人しか決められません。

自分がコントロールできないことは手放し、その時間を利用し、自分の会いたい人と会い、行きたいところに行き、やりたいことをする。新鮮な気持ちを味わい、新しい体験をすることにより、自分の視野が広まり経験や可能性が増える。自分が成長する。
結果ストレスも減り、相手のことを考える時間が減っていく。
相手への意識が減っていくと、仕事にかまけていたはずの相手から、突然「どこかへ遊びにかないか?」と誘われた。などということが起こるのは珍しい話ではありません。

相手が仕事と私のどっちを取るのかにやきもきし、相手に詰め寄るよりは、2億倍はその可能性は高いです。
それでももし、相手が自分に関心など向けないという場合、自分の意思で別れを選択することができる。
自分に関心を向けない人とはいつまでも一緒にいない。そして行動ができる。
これも大事な境界線です。

境界線のない状態とは雲泥の差がありますよね。

しかし、ここで、
そんなこといつでもやってる。
でもあいつは全く自分を見てくれない。キー!
というあなた。(指をさす)
それこそが境界線を引けていない状態ということです。

ここで大事なのは、相手からかまってほしいけど、かまってもらえない寂しさを避けるために自分の好きなことをしてごまかす。
という思いが強い場合、どんなに自分の感情に責任を持とうとしても、なかなか相手は振り向きません。

なぜなら、自分の感情に責任を持とうとする、その前提が、相手にかまってほしいから。
という前提が変わっていないからです。

なかなか難しいかもしれませんが、できる限り純粋に自分のために感情の責任を取る。
ここからスタートをしない限り、なかなか現実は好転してはいきません。

いかに純粋に自分のために自分の感情に責任を持つのか?
この意識にい続けることが、とてもとてもとても×2000くらい重要なのです。

境界線を設定しよう

こんな風に説明したとしても、境界線って抽象的だし、とても曖昧な定義。
例題を幾つか見ていただきましょう。

子供が靴の紐を結べないの。と悩む母親の話

子供が靴の紐を結べなくて、不満そうにしている母親がいます。
確かにその子供は紐を結ぼうとしてもモタモタしています。

母親は「子供が靴の紐を統べないの」とぼやきながらも、子供が靴の紐を結ぼうとしている様子に我慢ならず、その紐を奪い母親が自ら紐を結んでいます。
「オイーーーっ!、コンとか?!」
と大阪のおばちゃんばりに(また?)突っ込むポイントですね。

そりゃ結べないですよね。
結べるようにならないですよね。
だって親がその子が靴の紐を結べるようになるための試練や挑戦や苦労や喜びを奪ってしまっているのだから。

親が子供が幸せになる状況を奪っている。
そして子供が幸せにならないと嘆く。

反対の子供の目線で見ると、自分で靴の紐が結べるようになる達成感という幸せへの挑戦を相手に奪わさせてしまっています。
まあこの場合は、小さな子供なので、そこまで責任を取らせるのは酷というものではありますが。

人はこのような自分が幸せになるための苦労や勇気や挑戦の喜びを、親や他人に奪われても抵抗しない場合があります。
この学校を選びなさい
この会社を選びなさい
そんな趣味はやめなさい
と言われ従った。
などなど。
これも自分の幸せを相手に「奪わせている」という境界線がない状態です。

ある夫婦の熟年離婚の原因は、梅干しの数だった

なんだそりゃ?
な話ですが、これは真面目な話です。
ある老夫婦の熟年離婚で、ご主人が放った離婚の原因の言葉は、
「妻にお茶漬けの梅干しは1個でいいと言っているのに、もう何十年も2個入れてくるから」
と言い放ちました。

何を言いっとる。
となる方も多いのかと思いますが、
これこそ境界線を構築できなかった悲劇です。

ご主人は梅干しは1個でいいと伝えました。
奥さんはもちろん愛情から「2個のが美味しいから」と2個入れました。
最初は嬉しく思っていたご主人も、何十年と要望を無視され続け、小さなモヤモヤを心に積もらせていきました。

このご主人の気持ちわかりますか?
ご主人に積もったモヤモヤは、「自分の要望は相手に受け取ってもらえない」なのです。
ご主人は、梅干1個と言ったので、自分の幸せに責任を持ててる人の対応は、相手が言ったその要望が相手の幸せを満たすこと。
そこに自分の価値観は載せない。
と反応します。

そしてこのご主人も、奥さんに「僕は梅干しは一個でいいんだ」としっかりと伝えることが、自分の幸せに責任を持つこと。となっていきます。

人間は「察する」ことはできない

人間関係の会話で何よりも大事なことは、

相手が何を言って、
何を言わなかったのか。

これが全てです。
人間関係のコミュニケーションは、この言葉だけで進めるのが健全な関係の表れです。

例えば、
「お腹すいた」
と言われたら、
食事を出す。

「お腹いっぱい」
と言われたら、
食事は出さない。

境界線が曖昧な人は、察しすぎるので、
お腹すいたと言われても、さっきあんなに食べたんだからいらないでしょ?
と考えたりする。
お腹いっぱいと言われても、お昼も食べなかったんだから、食べたほうがいい。
と考えたりする。

どれも愛情とは紙一重なので難しいところではありますが、
これが重なると、梅干し事件のような悲劇に発展します。

自分の幸せに責任を持てる人は、自分の素直な要望を相手に伝えられます。
それができない人が、相手はそう言っているけど、本当は違う要望があるんだろう。
と「察する」のです。

察する。
これは日本では美徳とされやすいですが、実は相手を信じない行為。
と境界線の概念では定義されます。

人間はそもそも「察する」ということは不可能です。
長い時間をかけたコミュニケーションがあれば、予想がつくことはあると思います。
相手の観察に長けてる人なら、相手の要望を予想できる範囲も広いかもしれません。

しかしそれは、事実ではなく、ただの確率であり、憶測の話です。

相手を察する必要もないし、察してもらえなくてもいい。
だから相手の言葉をよく聞き、その言葉以外のことは想像しなくても良い。
これも境界線の大事な概念です。

境界線をしっかり構築できている関係は、自分の要望をニュアンスではなく、言葉でしっかりと伝えられ、相手の要望を額面通り受け取れます。

特に夫婦や親子関係では、境界線の構築の難易度は高いです。
しかし、そこで境界線を構築できれば、長く良い関係が続きますし、お互いが健全な心の状態を維持できます。

自分以外は、どんなに愛する子供でも親でも配偶者でも恋人でも、それは他人です。
他人とのコミュニケーションに境界線の設定は必須です。

境界線があなたの人生を豊かにしていきます。

あなたは境界線を構築できていますか?

まとめ

自分が幸せでいることの責任を相手に取らせすぎない
相手が幸せでいることの責任を自分が取りすぎない

自分の感情は自分で責任を取り、
相手の感情は相手が責任を取る。

相手を察しすぎない。
相手に察してもらおうとしすぎない。

これができれば、あなたの愛する人との日常は、スムーズに快適に過ぎていきます。

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