離婚を後悔し苦しんでいる人へ
僕が経験した離婚での話
今日は少し、松本伊代もびっくり(世代w)の、センチメンタルなジャーニーな私の離婚に対する体験談を話してみようと思います。
理不尽な離婚が、僕をこれでもかと苦しめましたが、それでも自分には必要で有意義なことだった。
人は自分に不要な現実は作らない。
そのことを実感したお話です。
今離婚に苦しむ人が、少しでも前を向けるように。
あなたに後悔はもう必要ありません。
自分の人生が「あなたには離婚が必要だから」そう思ってくれていることに気がつけたのなら、あなたは今日から力強く生きていかれます。
必ずね。
あなたは離婚という事実を使って、とても強い存在へと変化しようとしています。
とにかく、
あきらめないで!
真矢みきより。
この記事の内容
離婚という苦しみ…
離婚なんて、自分が頼んだコーヒーのようなもの
僕が離婚が必要だったと思えた二つの事実
【一つ目】恨んでいた親の離婚への思いを手放せた。
【二つ目】娘と深い場所で繋がれている実感を持てたこと。
娘が僕を嫌った理由
娘と関係を取り戻したその後
変化した娘への思い
今の僕の心境
5451文字
離婚した自分を、他人からはどう思われているのか
いつもあの人は僕に対して、
こんなことを言っている。
こんなことを思っている。
こんなことをざまあ。って笑ってる。
と僕の小さい脳みその中は、そんな他人からの言葉で渦巻いている。
ひどい!
そんなことを言うなんて!
あいつめ…。
と爪をかじり地団駄を踏もうとしたその瞬間、
それって自分が自分に言っている言葉だよね〜
と真っ白い全身タイツを着ぐるんだ、羽の生えた小さなおじさんが僕の耳の周りをパタパタと飛び回り、ささやいた。
ゔぁああ…。
き、気がついてしまった。
みんなが僕に言っていると思い込んでいた言葉は、なんてことはない。
自分がいつも自分に言っている言葉だった!
がーん。
世界でも類を見ない自意識過剰な僕のメンタルは、自分が自分に言っている言葉を誰かが僕に言っている言葉として、目に見える現実世界にラベルを貼り続けていた。
そんな心当たり皆さんにもありませんか?
では僕の心の中で、どんな自分への言葉があったのか。
僕の人生の最大のウイークポイント。
「離婚」
なんとしても避けたかった離婚だったが、僕のフルスロットルのネゴシエートでも回避できなかった。
その結果、子供とのいちゃいちゃな暮らしは僕の元から離れ、しかも子供にも嫌われるという現実が待っていた。
FBでもTwitterでも、どのSNSを開いても、みんなが僕に、
「離婚した惨めで孤独な不幸なおっさん」
と言っているんだろうな。
と思っていた。
もちろん誰にもそんなこと言われたこともないし、そんなこと思っていたとしても聞けるわけもなく、結果実績はゼロの言葉なのだ。
けれど、実績ゼロの言葉なのに、みんなが自分にそう言っているんだろうな。と思うということは、自分の中から生まれた言葉であり、つまり自分が自分に心の中で無意識に言い続けている言葉だった。
ひどい!
としか言いようがないですね。
一番の敵は自分の心だった。
けれど、
けれどね、
自分にとって、「離婚」という経験は、なくてはならないものだった。
昔の自分なら、100%の被害者でいる自信があったものの、僕は心の仕組みを学び、さまざまな心の葛藤を乗り越えることで、「被害者」という立場を捨てることができた。
そうなると、言葉は変わってくる。
自分は何のために、離婚が必要だったのだろう…?
この言葉が僕の頭の中の思考の轍を、違う方向へと作り出した。
外へと向かっていた思考の轍は苦しみしか生まなかったが、心の内側に向かい始めた思考の轍は、自分の人生を進める大事な思考となった。
言葉を変えることによって、僕にとって必要であり自ら望んで作り出した現実に対して、被害者の言葉を使うことには大きな矛盾が生じる。
そうして、自分が望んだことなのだ。と思えば思うほど、僕にとって離婚はなくてはならない事実としての意味を持ち出した。
離婚という苦しみ…
離婚後僕は正気の沙汰ではない孤独を抱え、苦しんだ。
くるちいくるちいの毎日。
「パパ大好き」と麻薬を与えてくれていた娘も、僕の前からいなくなった。
自分で自分の幸せに責任を持つこともなく、一瞬で満たしてくれる娘からの言葉は、僕にとって麻薬と同じ成分になり、すぐに依存していった。
当たり前のようにすぐに禁断症状が出始め、自分で自分を支えることができなくなった。
なので僕は必死に拳を握りながらも、相手に媚び、相手に寄り添い、なんとか娘と会えるような環境を作った。
しかし、努力すればするほどそれはだんだんと疎遠になっていった。
つまり娘に嫌われていった。
「パパの家には行きたくない」
当時3歳のたどたどしい言葉で、はっきりとしかも強く言われた。
詰んだ。
僕の人生の王将は、四方八方を苦しみに囲まれて、身動きができなくなった。
そこでできることは将棋の盤をひっくり返すという暴挙だけだった。
だが、僕は耐えた…。
その後駆け込んだある人のところで、僕は人の心の仕組みというものを徹底的に学んだ。
そこで知った人の心の仕組みというものは、何もかもが常識とは違った。
ジャッキーチェンの酔拳の修行シーンのように、毎日水バケツを空気椅子で支え、何度も師匠に叩きのめされた。
そう、僕は叩きのめされた。
離婚なんて、自分が頼んだコーヒーのようなもの
喫茶店で頼んだコーヒーが出てきたら、迷わず当たり前のように飲みますよね。
だって自分で頼んだから
目の前に起こり続ける現実も、蓋を開けてみれば、頼んだコーヒーと何も変わらなかった。
心の奥で、自分がその現実が欲しいと信じているから。(正確には、その現実があることで感じられる「感情」が必要だと思っている)さまざまな目の前の情報を取捨選択し、他人の心の中にまで続く通信網を使い、相手に振る舞いをオーダーする。
結果自分が頼んだコーヒーが運ばれてくるという仕組み。
それは離婚だったり、事故だったり、いじめだったり、盗難かもしれない。
どの事実も、誰だって最初は被害者として考えるだろう。
しかし悔しくとも、これが自分が頼んだコーヒーだと思えるのかどうか、そのコーヒーを飲み干せるのかどうか。
それだけで人生は360度まるで…、いや、くるっと一周元の位置!ではなく、180度別の世界となっていく。
僕が離婚が必要だったと思えた二つの事実
僕は離婚をして、二つの大きな現実を変化させました。
それは事実の解釈を、自分の必要なように書き換え、腑に落とすことで、見えてくるものがまるで変わった。ということです。
そうなることで、実際に目の前にある両親や娘との関係も実際に変わっていった。
【一つ目】恨んでいた親の離婚への思いを手放せた
僕の親は、僕に対してほとんど親の役目を果たさないまま、僕は大人になった。
しかし、
自分が離婚を経験したことで、結婚なんてこんなに難しいものなのか。を知った。
親だって人間だし、離婚をしてもおかしくないよね…。
と思えたこと。
母親は現在末期の癌の治療も諦め家で養生しているが、病院で余命半年と言われた母も、3年ほど経った今でもなんとか楽しそうに生きている。
そして、自分が親を許し始めると、親の言動が大きく変わった。
昔はとにかく子供に興味がなく、母親から嬉しい言葉なんて聞いたことがなかった。
あらゆるお祝い事や心配事は全て無視、興味のある事は僕のお金だけ。という母親だった。
だが今ではお小遣いをくれたり、ご飯の心配をしたりと性格は変わらないまでも、行動は激変した。
不器用な母親の愛情のようなものを感じられるようになった。
そして小さいころいなくなった父親も、ずっと僕が拒否していたので連絡もよこさなかったが、僕が離婚して親の気持ちがわかった。と伝えると、今ではたまに「心配して」なんて電話をするようになった。
父親もまた瀕死の状態で、癌を乗り越え透析をしながらも長く暮らす奥さんに甘えながら楽しそうに生きている。
自分が離婚を経験しなかったら、多分二人は死んでいてもおかしくなかったし、きっと親の気持ちにいつまでも気がつけず、僕の幼少期の気持ちは解消されなかったと思う。
むしろ、僕が気がつけるのを知っているから、何かの力で命の期限が引き伸ばされたのか?と思えてならない。
【二つ目】娘と深い場所で繋がれている実感を持てたこと。
僕は娘には、生まれた瞬間から仕事を放り出し(暇だったから放り出すものもなかったけどね)毎日育児に励んだ。もちろん楽しくて。
誰かの世話をすることが好きな僕は、自分の娘となると、こんな楽しいことが世の中にあるのか。
と思えてならなかった。
朝起きるとすぐに布のオムツ持ってお風呂に行き、「へ〜こんなうんちが出たんだね」なんてウキウキと洗った。
1歳にも満たなくても、僕は娘を連れて二人でよく出かけた。
産後の奥さんにも気を使い、脂の少ない和食を心がけ、毎日食事を作り、できる限りの家事をこなした。
しかし離婚後娘から嫌われるという信じられない苦しみを味わう。
ただこれもその後心の仕組みを知っていくと、僕にとってはなくてはならない、大事な経験だった。
それを娘と元奥さんがくれたと思っている。
娘が僕を嫌った理由
娘が僕を嫌った理由は、僕が娘の存在を、自分を幸せにするための「麻薬」としてしまったことだと思っている。
それを感じている娘は、僕から離れなければ。そう感じたに違いない。
子供の心の奥は親の幸せを何よりも望んでくれているから、一人で立てない親からは離れないといけない。そう思ってくれたのだと、それも今では強く実感するし腑に落ちるのだ。
離婚後順調に娘と会えていた時期はあっという間に過ぎ、連絡しても無視を続ける娘との葛藤が始まった。
スカイプのアカウントを使いこなす娘と僕は、直接コンタクトを取っていた。
しかし僕が「パパ大好きをくれ〜〜」とゾンビ化していくのと同時に拒否をするようになった。
もちろん僕は禁断症状に苦しんだ。
僕はこの頃ジャッキーチェンの真っ只中で、師匠から大きなヒントをもらった。
それはただ、自分の体の感覚にいる。というものだった。
そして、頭でぐるぐる回る思考は、ただただ心の苦しみを育て続けることだと知った。
僕は自分の中心に居続けた。
しばらくすると、何度も何度も頭のぐるぐるに引っ張られながらも、僕は心の中心に居られる時間が増えていった。
そしてある日、今日は調子がいいね。仕事もはかどるさ〜。と師匠をも横臥するほど、僕の酔拳は冴えていき、自分の足元が固まりしっかりとその場に立つような感覚があった。
まさにその日の夕方、一本の電話が鳴る。
スカイプからの着信音だった。
出ると娘は途端に、
「あしたパパの家遊び行く〜」
だった。
僕は一斉に服を脱ぎ去り、サンバの衣装を纏うと豪快に腰を振り、ヘイヘイヘイと心の中を行進した。
こんなカーニバル、見たことないよ〜
それはまるで新竜二の心のカーニバルだった。
娘と関係を取り戻したその後
娘との交流を取り戻すと、僕は人を取り戻したかのように、心も穏やかになっていった。
しかし、人の心の麻薬を欲しがるエゴは、そうそう静まらない。
娘からの無視と、再会。を何度か繰り返し、今では毎週楽しく娘と遊んでいる。
娘は塗り絵が好きな僕に絵を描いてくれて、一緒の並んで同じゲームをしたり、一緒に暮らしていては絶対味わえなかった、娘との心の交流を味わっていて、娘の成長も感じられている。
https://www.facebook.com/sss.ryuji/posts/3630822660476250
変化した娘への思い
その間も様々に僕の心の酔拳は冴え渡り、様々な心の着地を繰り返した。
その結果僕の娘への態度も明らかに変わった。
それはつまり、娘には教育は一切しなくていい、それよりもただただ安心を与えよう。
今はそんな心境になっている。
幼少期に一番必要なのは、しつけでも教育でもなくて、ただただ安心だったり楽しい記憶がいかにあるのか。
それだけがその子が大人になった時に最大のパートナーになるから。
それに親が子供を理想に育てられるなんていうには、ただの虚像である。と知ったから。
子供は親がどんな教育をしようと、育つようにしか育たない。
誰かが言っていた、子育てではなくて、子育ち。って。
こんな風に育てたい。
その思いが親も子も不自由にする。
それに子供がこんな粗相をしていたら、こんな大人になる。
という思想の押し付けはただただ暴力でしかない。
そう思っている。
僕は離婚という現実を使って、親を許すということと、子供との奥深いコミュニケーションを手に入れる。という人生にとって、何よりもかけがえのないものを手に入れた。
そう思っている。
今の僕の心境
けれど、冒頭のように、まだまだ僕の他人からの評価は、
「離婚した惨めで孤独な不幸なおっさん」
というのは変わらない。あはは。
ただ、離婚から知った人生を豊かにする経験も、それ以上にあるのも事実。
この二つのせめぎ合い、心の中が葛藤に染まる日もあるし、やっぱり自分らしい人生だなと思える日もある。
この思いをただ書き出したくて、今回長々と書いています。
なかなかオチもなく終わろうとしていますが、心の仕組みを知ることは、人生を幸せにすることよりも大事な、「自分の命とは一体なんなんだろうか」の問いに対する答えには、なくてはならないものだから、これからもそれを伝えていこうと思うのである。
では長々とお読みくださりありがとうございます。
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