Written by 宍戸竜二オフィシャルサイト

恥ずかしいことの中にこそ人生を進める鍵はある
【vol.4】

メールマガジンアーカイブ

自分はなぜこの幾度となく現れる孤独とともに生きなければならなかったのか。
それが2020年の年末ギリギリになってドスンと着地できたことが何よりも嬉しくて。

自分に何のために孤独が必要だったのか。それは自分は誰かに求められる人ではなくて、誰かを求め、人を集め、自分からコミュニティーを作る人間だったから。

がだ私は誘われる人間こそが価値があり、誘う人間は人として2流であって価値が低い。そう信じていた。

それには根っこがあり、そう気がつくとずるずると記憶の扉が開く。
それは家族とのつながりを持ちたかった、家族に自分とつながりを持ちたいと思って欲しかった。それが満たされないような現実の中自分は生きてきた。
それに紐付いた。

生まれた時にすでに祖母も祖父も4人ともこの世におらず、父と母は物心つく前に離婚していた。姉は10代で家を飛び出し母は夜は一年中休みもなく毎日パチンコへ。
毎日毎日一人で晩ご飯を食べる僕は不思議と寂しさも孤独も何も感じなかった。

感じなかったのではなくて、感じれななかったし、多分感じていたら自分は死んでいただろうと思う。
死なないために自分の潜在意識は寂しさという感情をショートさせ機能させなかったんだと思う。

しかしそれは音に何なってその分の寂しさや孤独を利子をつけて受け取らなければならなかった。
今思えば自分がフリーランスで独立できたのなんて奇跡としか言いようがなかったが、それも一人で孤独に家でこもる必要があったんだと思う。
イラストを描いて生きていかれることは幸せだったけれど、「ああさみしいな」と毎日思っていた気がする。

そして恋愛なんて何度しても自分の気持ちをわかってくれない。と憤り、そんなんでうまくいくわけもなくことごとく相手を傷つけた。

そして結婚でもそのツケを受け取ることに。
何のために自分は自分に関心を向けない人と結婚をしたのか、そして決まっていたかのように離婚をした。
子供ができたことは、離婚別居でのひとりの孤独な暮らしににブーストをかけるかのように死を感じてしまうほどの耐え難い極度の孤独がやってきた。

苦しくて苦しくて頭がおかしくなりそうだった。

しかし自分にはそのくらいの極度な苦しい孤独がなければ、孤独の意味を知ることなんてなかった。

いつまでたっても誰かに誘われることを待つことしかできず、誘わないから孤独はさらに深まっていっただろう。

ある日から自分は自分の恥ずかしい価値観を人に言うようにし始めた。
誰にでも言うわけじゃなくて、この人なら自分を傷つけないように話を聞いてくれるだろうという仲間に。

外は言っても結局は自分の恥ずかしい価値観について優しく言われてもかなり傷ついた。こんなことをに固執してる自分が恥ずかしかった。

この頃から自分に価値がない。という人の根っこはその人が持つ恥ずかしい価値観。その中にこそその人の価値を下げる根っこが隠されていると気がついた。

気がついたと言えば大げさだけど、自分はそんなこと気がつけもせずずっと隠し続けていた。
まず自分が行ってのは、今こうして人の傷ついた気持ちや前に進むためのアドバイスを大勢の人にしたいという目標を持っている。
しかし自分の心を開けばそこには未だに悩みだらけ。
自分の内側に取り組み、それほど数え切れないほど大きな心理的な着地も味わ、ここ数年で信じられないくらい心は前に進んだ。
しかし人にドバイスしたい自分がこんなにも悩みを持っているなんて恥ずかしくてたまらなかった。
仕事も今は低空飛行、家族と離婚して一人孤独で誰にも誘われない。
そんなこと誰にだって言えるわけがなかった。

こんな人に誰が悩みを相談したいと思う?
こんな人に相談して、何かうまくと思ってなんてもらえるわけがない。
人は皆家族にも愛されて、お金も仕事もうまくいっているキラキラ眩しい人にこそ相談したい。そうに決まってる。
そう信じきっていた。
でも普通そう思うよね?よね?

しかし、その恥ずかしい自分の価値観を始めて自分の心の外に出してみた。
人に話してみた。
その人はまず、「私だったら悩みを持ってそこに向き合っている人にこそ相談したい」そう言った。
自分は唖然とした。そんなことがあるわけがない。そんなことあるもんかと。

さらに恥ずかしさに襲われた。
しかし徐々に開放感もやってきたんだ。
えー、そうなの?そんな悩んでいるからこそ相談したいなんて。そんなことあるの???
ひょえーってびっくりした。

それからすぐにその着地は訪れた。
自分の恥ずかしいことを打ち明けたことで、そこか自分の心の中に生きる自信のようなものが現れるのを感じた。

人は恥ずかしいと思う中にこそ自分の価値を下げるエネルギーが含まれているんだって。だからその恥ずかしいことを他人に言うことでそのエネルギーを放出できる。
それがあったから、心の中に自信のようなものが芽生えたのではないだろうか。

そしてふとひらめきが降りてくる。
そっか、自分は誘う人間であって、誘われう人間ではない。
その性質を間違って認識していた。
今までだってうまくいくときは自分から率先して誘っていたじゃないか。
それでみんな楽しそうに自分の周りに集まってくれた。
自分はいつから誘われることにこそ価値があるなんて固執し始めたのだろうか。

多分それはただ傷つきたくなかったからだと思う。
誘えばもちろん断られることもあるし、この繊細くんの心では無駄な詮索も思ってしまい、その心が傷むことを恐れるばかり誘われることを待つだけの人間になっていたんだ。

それに誘うからこそ自分が会いたい人に会える。
誘われうということは、誰かとつながることを他人に委ねることになる。
そりゃ誘われても断ればいいだけだけど、でも誘われ続ければ次第に断りづらく行きたくないことに行くことにもなりかねない。

そして別の仲間に、誘われることにこそ人は価値があるよね?誘う人間よりも?
と言うとその仲間は一言
「うけるw w w」だった。笑
なんでそんなこと考えてたの?まじウケるんだけど、そう笑う友達に自分も笑がこみ上げてくる。

こうして自分の孤独を使ったなんてことのないコントは終わった。
家族に誘われたいがために、ずっと意固地になって誰かが誘ってくるのを見張っていた。
その思いでいる限り、潜在意識には自分は誘われることのない無価値な人間。というプログラムが動き続け、より人から誘われなくなる。
いつからかまるっきり人とのやりとりもなくなり、何が起きてるか自分には全くわからなかったが、ただ自分が誘われないと恥ずかしい。ただそう思っていただけだった。

そう思ってから勇気を出して知り合いを誘うようになった。
もちろん集まりに誘っても予定が合わなければ断られる。
しかし自分の心の中は、本当に来たいけど予定が合わなくて行かれないんだ。
と言う気持ちが伝わり出した。
もちろん根拠なんてないが、ただ自分が誘う誘われるということに価値云々なんてない。そう思うだけで受け取れ方がまるで違った。

自分は今年は誘われることなんて待たずに、会いたい人は勇気を持って、断られたり時にはショックを受けることも織り込み済みで全て受け取る気持ちで好きな人に会おうって思っている。

もう孤独を使って自分の価値観を振り回さなくて良くなった。
そんな年の始まりの思いです。

皆さんも、もし自分に価値が感じられないときは、自分の恥ずかしいこんなこと人には絶対に言えない。という価値観を信頼できる人に打ち明けてみてください。
笑い飛ばしてくれるならよりつまらないプライドなんて吹き飛ぶと思う。

自分の価値にみんなで気がついていきましょう〜。
写真は前に料理教室をやった時のもの。
とっても楽しかった。
楽しい事していきましょうね。

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