Written by 宍戸竜二 オフィシャルサイト

「小説を書く」とは、いつも通りのベッドシーンをするってこと。

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こんにちは、

宍戸です。

自分が書いた小説を人に見せる。

それはデスゾーン突入に匹敵する恐怖。

その恐怖とは、

「恥ずかしい」

であった。

誰もが持っている羞恥心。

恥ずかしい イズ はじ。

そう、恥を掻くこと。

小説を他人に見せる。

まさにデスゾーン級の恥ずかしさ。

息をすることさえ許されない。

こんな恥ずかしさがこの世にあったのか。

という代物…。

小説を書く。

まではいい。

誰もその作品を知らないんだから。

でも、

その作品を人に見せた途端、

恥ずかしさは一気に

8000m級のデスゾーンへ!

=====

あなたは生きていて、

どんな恥ずかしさを知っていますか?

例えば、

みんなの前で話すこと、

好きな人に告白すること、

自転車ごと頭から田んぼに落ちたこと、

(それは事実の黒歴史!)

僕は小説を書くことで、

そしてそれを人前に出すことで、

この世の終わりのような恥ずかしさを

嫌という程味わった。

=====

僕の表現の2本柱。

イラストレーション、

小説。

絵と文章で自分自身を表現しています。

このメルマガも、その一部です。

=====

ある小説家が言っていた。

「小説を書くということは、

裸になって街中を走り回ること」

それくらい恥ずかしいことだと。

2万回くらいうなずいても

まだ足りないくらい納得した。

小説というものは、

自分の醜態まで、

全てをさらけ出さないと、

とても作品になんてならないでしょう。

稀代の天才でもない限り、

とってつけたような言葉を並べたって、

そんなの誰が読みたい?

「自分を表現する恥ずかしさ」

それを例えるなら、

ベッドシーンで俳優が、

「いつも通りでお願いします!」

と監督に言われるようなものだ。

まさにそれ!

過去、

だれかに言った愛のささやきだって、

そのまま小説に登場させるのは意味がある。

だってそんな臨場感、書かない手はない。

自分が感情を裏返すくらい恥ずかしくて、

奥歯をガタガタと言わすほど、

緊張した言葉なら、

どんな稚拙な言葉だろうと、

それは小説の中では意義がある。

人の心をつかむはず。

臨場感がない言葉なんて。

感情が動かない言葉なんて、

誰が読みたい?

「誰が読みたい?」

と連呼しているけれど、

私が作品を読んでもらった中で言われた

批評の中で、

今でもこびりついている言葉。

これほど強烈な言葉なはい…。

自分をさらけ出した作品が、

「そんなの誰が読みたい?」

そんなことを簡単に言われてしまう。

見せても恥ずかしい、

言われても恥ずかしい…。

恥ずかしさの極みである。

しかしそれが、

表現の世界なのかもしれない。

=====

「恥ずかしさ」

その感情は、

人が新しいことに挑戦して

変化してしまわないように、

もともと人間に備わっている機能です。

熱が上がっても平熱に戻るように、

苦しくても平常心に戻りたくなるように

人間の体も心も変化がとても嫌いです。

だから、

恥ずかしければ恥ずかしいほど、

その先に変化が待っているということ、

その先にあなたの可能性が

眠っているということ、

だから、

あきらめないで!

(真矢みきより)

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