幸せの絶対ルール、被害者でいる限り幸せはやってこない

宍戸竜二の風景イラストレーション
目次

幸せになるにはルールを知ること


野球のルールだと、ボールを打ったら1塁に走るよね?
それで走塁が間に合えば自分の成績になって、賞賛がやってきて年棒もアップする。
つまりルールを守ると幸せになる。ってことだよね?

これがもし、ヒットを打っても3塁に走ったら?

それはアウトだし、いやいやアウト以前に

「おま、それっw」

って突っ込まれるよね。
野球何年やってきてんねん!って。

せっかくヒットを打つ能力があるのに、ルールを知らないばかりに何も得られない、それどころかヤジの荒らしを受けるでしょう。

「バット振った勢いで脳みそ場外ホームラン飛ばしたんかーいw」
とかさ。笑

あなたも同じで、幸せになる能力は大谷翔平並みなのに、翔平と違うところはただ「ルールを知らない」ってことだけ。

結局人との結果の違いなんてそんなもんよ。

まあ人生の場合は絶対ではないけど、時には3塁に走ることで称賛されることもあるんだけど、でも9割9分うまくいかないから、よっぽどの変態さん以外は、成功するためにはきちんとルールを知るのはとても大切。

僕が考えるこの人生の幸せの基準は、あくまでも僕の場合。

人生の最後、
「おっさんになっても大変なことばかりだったけど、その分いろんな自分の心の中の秘密を知れたし、だからあんな良いこといっぱいあったよな〜」
って言いながら、海が広く見える縁側でビールをぽくぽく飲みながらうっかり逝ってしまうこと。

うっかりが大事!笑

あなたはどうなれば幸せですか?

幸せのための絶対ルール

今日はこのルールだけでもぜひ改めて自分自身のために考えてみてください。

被害者意識からは人生は決して好転しない

本当にこの世の「悪魔」ってくらい巧妙に人の心を乗っ取って、あなたらしくない行動をこれでもかとさせる「被害者意識」

うーん…

まあしかし、そういうときは実際に被害に遭ってるんでしょう。
現実的に誰が見ても相手が悪いんだろうし、僕の大事なブログ読者に悪いことする奴なんて、永遠に後ろから歩いて踵をリズムよく踏み続けてやりたい!ってくらいそいつは悪いやつだよ。

でも確かにそいつは悪い奴なんだけど、そこから相手を責め続けてもあなた自身が何か得することは大して受け取れないのですよね。
その意識の場所からじゃ幸せにはなれないのですよ。本当にまじでさ…。

寄ってたかってその悪いやつをなじれば責めれば、そいつは自分でも悪いことやったんだから自覚もあるだろうし、言い負かして謝らせることもできるかも知れない。
相手が謝ってくれたらそりゃ気持ち良いでしょうし、あなたはすっきりして幸せな気持ちにもなるでしょう。

その一瞬はね…。
ドキッとしたでしょ?笑

でも何とかその相手に謝らせたとしても、結局あなたは全く違う方向の人から同じような被害を受けて、全く同じ感情を感じることになると思うのです。
心当たりあるでしょ?

「あいつも同じことしてきやがる…。」ぶつぶつぶつ…。ってさ。

つまりどんなに被害者を矛として振り翳したところで、あなたは幸せにはなれないと思うのです。
どうですか?
もしそこに「うん、幸せにはなれない…」と思えるのなら、あなたの成長はそこから確実に始まっています。

それだけを感じられるだけでも、今まではかなり違う結果はやってくるはずだから。

被害者意識からの離脱

被害者意識から離れるのって、これがまーしんどいのよ。
しんどいというか、いつの間にか被害者に戻ってしまう。
するするってさ。

だから何度被害者意識に駆られても、また自分の心に戻ってくる。

「これは何のために自分のために起こっているのか?」
って考えてみて。

ここまでがルール。

そしてあなたが被害にあったと思う問題でも、

「これは何のために自分のために起こっているのかな?」
「これをどう捉えたら自分の謎に気がつけるのかな?」
「これは一体、私に何を気づかせようとしているのかな?」

な?な?な?な?っていつまでも自分の内側に疑問を持ってみて。

人生がうまくいかないときは、その時は自分を疑うとき。
うまくいくようになったら、その時は自分を信じるとき。

こんなことを考えていると、必ずあなたが無意識にやっている、被害に遭うための思考癖に気がつくことができるのです。

例えば、

無意識に「ごめんね」と言うのが癖になっていた。
つまりいつでも自分は悪者だ。と言う前提を持って人に接していた。

この前提が、自分の人生に被害に遭う出来事をなん度も招いていた。

自分が悪者だと決めてしまったのは、小さい頃のあの出来事があったからだよな…
と思い出すだけでも大きな癒しがやってきます。

そしてその自己否定な人格を持っていると言うことを知ったことで、あなたは自己否定について探求をし、研究をして、そのことを同じ悩みを持っている人と共有することであなたは多くの人に感謝されることになった。

それはたくさんの素晴らしい仲間に出会い、または素敵なパートナーとも出会い、この自己否定の旅があったからこそわたしは思っても見ないような幸せを味わっている。

自己否定さんありがとう!
なんてね。

こんなふうに

全ての出来事を自分から発せられた出来事だ。

と思えるかどうかだけで、被害者で味わった、ただ相手を責めて負けを認めさせてだけのちっさい幸せよりも、自分の心からさまざまな現実は起こされている。と言う目で見るだけで素晴らしい幸せを味わえる。

どっちがいいのさ?!

って話なのです。

そりゃそんなふうにスムーズにことは運びません。

被害者意識に塗れ、でもここからは何も進まない、と自分の心に立ち返り、でもまた被害者意識に塗れ、相手を責める。いやでもこれじゃ…

と何度も何度も意識を行ったり来たりとすることで少しずつ自分の心の中身がわかってくる。

こんな感じの泥臭く自分と向き合うことで少しずつ自分の謎は解けてきます。
自分の謎が解けてくるからこそ根本解決していくのです。

自分だってずっと、これを反復横跳びのように被害者意識と自分。それを行ったり来たりしてますよ。
もうほんとにナメクジのようにでろ〜〜〜〜んって地面に這いつくばることなんて日常茶飯事。

でもその先に、必ず本質的なあの幸福感が待っているかと思うから頑張れるのですよね。

何度でも自分の中を見ようと戻ってくれば、必ずそこを打破する光は見えてくる。

必ずね。

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