Written by 宍戸竜二 オフィシャルサイト

【新しい生き方】コロナの存在をどう解釈するか、その意味とは?

生き方

アインシュタインが残した有名な言葉で、「問題を起こした意識のレベル(俯瞰度)のままで、その問題を解決することはできない」というのがあります。
今の問題を解決したいのなら、それは今まで以上にもっと高い視点からその問題を見ていく必要があります。
そして高い視点になればなるほど、その問題がダミーだったとわかるはずです。問題の根っこは目の前にはダミーとして現れます。雨漏りの雫が問題だとしたら、問題の根っこは雨が漏れる屋根の裂け目にあるはずです。その根っこの問題を見つけるためにも、雫が落ちた場所を見ずに、屋根より高い視点に自分をおき、その雨が漏れる裂け目を探していきましょう。

今まで何度も地球上では絶滅を繰り返し様々なメガサイクルが起きてきました。
その中で生き残ってきた者は、強かったり賢かったりしたわけではありません。
進化論を唱えたダーウィンの見解は、生き残った理由は、変化をいとわなかったから。
と言い残しています。

つまり、今までの過去の記憶に固執し、うまくいったやり方を捨てきれずに変化を拒んだ者は、時代に飲み込まれ淘汰されてしまったということです。

もし今このコロナの騒動で問題を抱えているのなら、今の意識を変えていく必要がある。ということだと思います。

コロナは一体何をもたらしたのか

苦しいときにまずすること

このコロナ騒動がもたらした中で、一番大きなものは、それは「孤独」ではないでしょうか。
外に出れない、人と会えない、人との間隔が大前提、顔はマスクで覆われて表情がわかりづらい。
今まですれ違っていた家族が一緒になって幸せを感じている人もいるかもしれませんが、すれ違ってバランスを取れていた家族が、家にこもり長い時間接することで多大なストレスとなり、離婚となった場合もあると聞きます。

ではそのコロナがもたらした孤独はどんな意味があったのでしょうか。
孤独は大勢の人が嫌うような感情ですよね。

孤独は味わいたくない、
孤独にはなりたくない、
孤独は避けたい。
など。

人の感情はどれも、避けたり排除して良いものなど一つもありません。
どれも全て自分の中の大切な感情で、どの感情も自分です。
どれかの感情が感じたくないからといって、それを排除しようとするのは、嫌いな奴を仲間外れにするいじめと同じなのかもしれませんね。

一つ一つ感情にはそれぞれ大事な役目があります。
その感情を感じることで自分が何を知りたいのか、何に気がつきたいのか。
そのような切な想いがこもっているのが感情なのだと思います。

楽しいことだけあれば人生は幸せだ。そう思っている人は苦しい人生を歩むことになるのではないでしょうか。

楽しいことだけを感じたいと願う考えは、心の中の潜在意識は、楽しいことだけを感じたいには、その対比のつまらないことが必要ね。と判断されます。そして楽しいことだけを願うばかりに、その反対のつまらない。の現実ばかりが作りだされていきます。

幸せに生きている人は、全ての感情を愛し、認め、寄り添い、そこから自分の本質の思いを見つけ、その見つけたことをきっかけに人生を大きく飛躍させて行きます。全ての感情が揃った時に、人は本当の自分に気がつけるはずです。

全ての感情を感じられることは、豊かなことだ。
そう感じることで、潜在意識は豊かなことを感じられる現実を創り出していくでしょう。

すべてのものは、右があって左があり、ポジティブがあってネガティブがある、そうやって目の前の現実は、対になってこそ初めてバランスが取れるのです。片方だけが気持ちいいからと、そこばかりを求めたら、目の前の人生のバランスも著しく崩れていきます。

もしあなたの前に今嫌いな人がいたとして、あなたはその人のどんな部分が嫌いですか?どんな言葉が嫌いですか?どんな態度が嫌いですか?
難しいことではありますが、それを受け入れる。という作業が、自分の人生を大きく飛躍させていきます。
嫌いと感情を感じられたことはとても素晴らしいことなので、今自分はこの人が嫌いなんだな。としっかりとその気持ちに自分で寄り添い、そしてその嫌いな相手の、嫌いな部分。それは自分の中の自分で嫌っているもう一人の自分が目の前の他人に投影されたにすぎません。それがパターンとなっているのなら、友達、恋人、親、と近くなるに従って、より自分の内側が作り出したという確信度は上がっていきます。

その相手な嫌いな部分を好きになれとは言えませんが、それでもあの人はそれでいい。

それでいい。

ただそう思ってみてください。
嫌いなままで何かを認めてもいいのですから。
そうして嫌っていた自分の嫌な部分を相手を通して確認し、そうして切り捨てようとしてた自分ともう一度一つになって生きていく。
その切り捨てようとしていた自分はとても大事な自分の一部です。
切り捨てるということが、どれほど自分にとって残酷なことなのか、もう一度考えてみることは、とても大切なことだと思います。
嫌な自分を知れないと、好きな自分は輝きません。
その統合ができるだけでも、人生が大きく動くきっかけになっていきます。

私自身も、人からの関わりや関心を求めるばかりに、無関心な人を否定し、避け続けていました。
その結果、自分に起きたことは、無関心を感じる孤独な出来事ばかりでした。
そして、そうかその無関心を否定することはもう一人の自分を否定すること。つまり自己否定だったのです。
それから無関心を表す出来事に対して、一つ一つ思い出しながら「それでいいそれでいい」と意識を向けると、すぐに世界は反応をしてくれました。大きな気づきの次の日には、突然多くの人との交流があったりと、幸せな日が送れた。という体験もありました。そのように自分の根っこの意識が変わるだけで、世界はすぐに何かしらの反応を見せてくれるはずです。その変化はとても小さいかもしれないので、よく目を凝らし気がついて拾い上げる必要があります。見逃してしまえば、それは変化がなかったことと同じことになってしまいますから。
よく目の前を観察し、そこから自分の意識の変化を感じていくのもとても興味深い体験になるでしょう。
ゲームと思うくらいの遊び感覚で、誰のどんな部分が嫌いなのか、もう一度観察してみるのは、とても興味深い結果を生むはずです。

そのようなことからも、幸せを感じていくには苦しみを避けずに受け入れる必要があります。
苦しみを知っているからこそ、その対比として、幸せを感じられます。
ずっと幸せだったのなら、どれが幸せなのかわからなくなりますよね。

現に今の日本は他の国では類を見ないような平和があるのではないでしょうか。
そこが当たり前になっているから、目の前にある飲める水が蛇口から出てきたり、スーパーに行けば食べ物で溢れている現実を見ずに、高揚感ばかりを求めて歯止めが利かなくなる。そのようなことはないでしょうか。
そのような当たり前にある奇跡のような幸せを感じることで、目の前の些細な悩みなど吹き飛ばしてくれます。
生活のインフラが整った上での悩みというものは、そのほとんどが今の平和を忘れてしまったことによる傲慢な悩みとも言えるのではないでしょうか。

もしあなたが今大切な人が誘拐され、その人がどうなってしまっているのかもわからないような状態になっても、まだその悩みは持ち続けますか?もしそうならそれはとても大切な悩みかもしれません。
しかし大抵の人は人間関係やお金程度の悩みなら、そのような事態になった瞬間そのような悩みなど忘れてしまうのではないでしょうか。
一度自分が今のこの日本でどれだけ恵まれているのかということを、もう一度考え直し、当たり前にあるような平和が、実は奇跡のような平和なのだということを感じ直してみることは、やじろべえがバランスをとるように、自分のバランスも取ってくれるはずです。

突然現れたコロナパニックに苦しみ、以前のように戻りたいという思いがあるのは当然かもしれませんが、しかしコロナが起こる前も、苦しさや不幸や不便さを唱えてはいなかったでしょうか。
そこにまた戻りたいということなのでしょうか。
今思えばコロナ前は平和で豊かだった。なぜその時そう思えなかったのでしょうか。
それは対比になる今回のような騒動がなかったからです。
そうして平和に麻痺した慢心さは、さらにレベルの高い幸せを求めてしまう。結果そのとてもレベルの高い幸せに見合うような苦しみが用意されてしまう。その苦しみがあるからこそ感じられる幸せを求めているということなのですから。

陰と陽のバランスをとり、今るあることに目を向け、それがいかに平和なことなのか。という解釈を探すということは、とても有意義なことです。

この孤独の中で、本当の自分の人生はどんなものなのか。
それをもう一度この機会に考えてみてはいかがでしょうか。

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